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偉大なるホーナス・ワグナー(1)

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偉大なるホーナス・ワグナー(1)

“Honus” Wagner

2007年2月28日、8度首位打者に輝くなどした名選手、ホーナス・ワグナーの野球カードが、過去最高価格の2.8億円で取引された。それというのも、カードの回収を要求したため、流通枚数が少なく、希少価値があるのだ。それはまた、かれが嫌煙家であるがゆえ、たばこの景品だった野球カードを嫌ったともいわれている。

ピッツバーグ・パイレーツの「ダッチ」こと、ホーナス・ワグナー(Johannes Peter “Honus” Wagner)は、もはや伝説のプレーヤーとなっている。軽快な守備、シュアで、迫力満点の打撃、そのうえ意外や俊足。そんなかれを見るや、
「フライング・ダッチマン(The Flying Dutchman)」
と、呼んだそうだ。

それは、同名のオペラ界の偉大なる巨人、ワグナー(Richard Wagner)の出世作ともいえる歌劇「さまよえるオランダ人」(英語名;The Flying Dutchman) とも、これまた同名である。神罰によって、この世と、煉獄の間をさまよい続けているオランダ人の幽霊船があり、喜望峰近海で目撃されるという伝説を元にした詩人・ハイネ<独>の「さまよえるオランダ人(Der fliegende Hollander)」に基づいている。ともあれ、偶然か、否かはいざ知らず、かれのアダ名は、じつに教養あふれる「意味のニ重性」を利用しているのだろうか。

もちろんワグナー自身もまた、オランダ系ではない。ドイツ系移民である。走攻守、三拍子そろった選手で、メジャー・リーグ史上、最高のショート・ストップとして名前のあがるホーナス・ワグナー。筋肉隆々で、ガニ股、手は長いという特徴的な体型を持ちながら、俊敏なプレーを見せたものである。
「樽をころがすと、脚のあいだをぬけていきそうなくらいのガニ股だが、野球のボールだけは、絶対に抜かせなかった」
といわれている。19世紀末から、20世紀初期までの、「飛ばないボールの時代」、いわゆる守備を重視する科学的野球時代のヒーローだった。かのジョン・マグローは、かれこそ古今随一最高の選手と激賞している。

かれの打ち立てた記録も、その後の選手達によりいくつか更新されているが、かれこそが最大の遊撃手であったことは、誰も異論がない。1936年に、第1回の野球殿堂に5人の選手が選出されているが、もちろんかれも選ばれている。



ペンシルベニア州の小さな街に生まれた。父は炭坑労働者であり、ワグナーも、12歳で学校を中退し、炭坑で働きはじめている。週給は、わずか3ドルだった。炭坑、ついで製鉄所でも働きはじめ、その製鉄所の野球チームで、ワグナーは頭角をあらわした。

21歳の1895年、マイナー・リーグと契約し、プロの世界に足を踏み入れた。1年目は、4球団を転々とするも、それぞれ4割近い打率を記録。翌86年、109試合の出場で、打率.349を記録する非凡さを見せたのである。

そのころの大リーグはというと、創成期にあって、まさに混沌としていた。ナショナル・リーグと、アメリカン・アソシエイションとの並列時代が続くやとおもいきや、すぐまた1892年から、ナ・リーグの単独時代。1901年から、またまたナ・リーグと、ア・リーグの二リーグ時代へと、球団の離合集散は、日常茶飯事だったのだ。

ナショナル・リーグのルイビル・カーネルズと契約したのは、1897年のことである。ニ塁手がケガをして出られなくなったときに、代わりに出場した。そのカンペキともいえるフィールディングで、自らをアピールし、ついには打率.338をマーク。翌年以降の打率も.299(1898年)、.336(1899年)と、結果を積み重ねていく。

ところが、当時のカーネルズのオーナー、バーニー・ドレイファスが、カーネルズを売却し、すぐさま取って返し、なんとパイレーツを買収。カーネルズの中心選手を丸ごと、パイレーツに移籍させる秘策を見せたのだった。結果的に、売却されたカーネルズには買い手がつかず、1899年を持って消滅。事実上、1900年からは、パイレーツと、カーネルズの混成チームとなったのである。

戦力の整ったパイレーツは、闘将フレッド・クラーク監督のもと、リーグ2位に躍進し、ワグナーは、打率.381をマークして初の首位打者のタイトルを獲得した。以後、毎年のように0.330以上の打率、50盗塁以上、100打点を記録することになる。

1912年までに、内野手として、守備率0.962をマーク。これは、現在では平凡な数字だが、野球用具がお粗末な時代でのリーグの平均守備率が0.930前後であったことを考えれば、やはり凄い数字である。

1901年から、パイレーツは、リーグ3連覇を飾った。が、万能なワグナーは、ほぼすべてのポジションを守り、時にはなんとマウンドに上がったこともあるというから、驚く。1903年から、ショート・ストップに定着したが、この決断は正しかった。難しいポジションで、ワグナーの強肩、俊足はより生きたのである。

その年に、初めて開催されたワールド・シリーズにも出場。新興のアメリカン・リーグの優勝チームは、ピルグリムス(現レッドソックス)であり、四半世紀ほど歴史の古いナショナル・リーグのパイレーツとしては、負けられなかったが、いかんせんワグナー自身が不振におちいり、パイレーツは世界一を逃している。

参考図書;『誇り高き大リーガー』(八木一郎著 講談社刊)